2012年9月16日日曜日

妻籠・桃介橋へドライブ


 毎日の暑さに耐えかねて、少しでも涼しいところに行こうということで、妻籠・桃介橋へドライブに出かけました。暑さしのぎというよりは、気分転換といったほうがあたっています。妻籠・桃介橋はともに国道19号線を北上し、岐阜県から長野県に入ったところにある、木曽郡南木曾町にあります。
 また、「夜明け前」の島崎藤村でも有名な馬籠は妻籠とは馬籠峠で隔てられた(山道で約8km)隣同士の宿場です。

 妻籠宿からすこしだけ山手に上がったところに「妻籠小学校」があります。ここは映画「キツツキと雨」沖田修一監督 主演 役所広司 小栗旬)で使われた場所です。
 開校は明治6年(1873年)で、右写真の「妻籠の子らこの地に学ぶ」と刻まれた石碑と、その右に小さく写っている百周年(昭和47年)の記念碑がありました。廃校は1997年で、124年も続いた事になります。もちろん途中で増改築がされているでしょうが、その姿は私たちが入学した当時を思い出させるには十分でした。

 休日でもなく、夏の暑い昼下がりの事とて、妻籠宿を縦断する旧中仙道にも人影はそんなに多くはありません。


 これは妻籠宿本陣あとで、島崎藤村の母の生家です。


 先回来たときに食べた饅頭がおいしかったのを思い出しました。
 
 街道が暑い事もあって店を探し(満寿庵)、涼みがてら上がりこみました。普通の饅頭ですが、お茶と、漬物でゆっくり味わうと、それはそれで満足できました。(1個でも、、、、)


 宿屋の行灯看板の破れも何か風情が、、、、

 先に述べたように、隣には有名な馬籠宿がありますが、この二つを比べると好対照です。
 馬籠宿はよく洗練されており、まさに現代の町のイメージですが、この妻籠宿はむしろ歴史の重みと落ち着きを感じさせ、私はどちらかといえば妻籠宿がベターです。


 街並みにはいろいろな店がありますが、郷土色あふれた商品のある、雑貨屋さんなどが面白いです。 

 と言っているうちに「いさばや」という櫛屋さんに家人は吸い込まれるように、、、、、

 ここではもちろん「ツゲ(柘)」の櫛もあるのですが、「みねばり」の木で作られた、同じ中山道の薮原宿の特産「お六櫛」が、昔お六という頭痛もちの娘さんが、みねばりの木で櫛を作り髪をとかしたら病が治った」というこでお勧めでした。

この「みねばり」の木(オノオレカンバ)が土間においてありましたが、持ち上げてみて、その重かった事、、、、

 確かに硬い木であることがわかりました、なにせ比重が0.9~0.94で日本一重い木「斧折れ樺」ですから、、、、それでいて静電気がおきず櫛に最適とか、、、、なんとか、「はい、お櫛一本お買い上げ!!!」



 今回はもうひとつお目当てがありました。和紙(この近くでできる田立の和紙)を購入する事でした。お店の名は、「寺下丁子屋」で記憶を頼りに、、、、あ、見つけました。野草が花入れにさしてあります。

 ここは和紙だけでなく、漆器、和布、など面白そうなものを扱っています。女主人いわく、「跡継ぎが無くってもう作る人がいないんです、、、、」次に来たときにはもう無いかもしれません、すこし多めに、、、、


 相変わらず暑い陽が路上に降り注いでいます。



 妻籠宿をあとに、今度は初めて行く桃介橋へ移動します。桃介橋はここから車で数分のJR中央線南木曽駅近くの木曽川にかかっています。



 福沢桃介(福沢諭吉の娘婿養子)はその事業家、政治家、としての手腕、さらに日本初の女優川上貞奴の艶話など枚挙に暇が無く、、、、省略。

 彼は電力王としての実力を誇示するためもあってこの日本最大級の木製吊橋「桃介橋」を建設したとされているが、彼の「一河川一社主義」は結実し、いまだに「木曽川水系がなぜ関西電力なの?」といった状態になっています。

 この桃介橋」は全長247m幅2.7mで、近くにある読書発電所(よみかき 大正12年完成)を建設するための資材運搬用に建設され、その後は生活道路として使われているが、平成2年に老朽化のため建替え、平成6年に国指定重要文化財の指定を受けています。


 右は一部が残されている、建設資材を運んだトロッコのレールです。

 左は橋の下から主塔を見上げたところ。橋脚部13m、鉄筋コンクリート部13.3mで26m強の高さです。橋の裏側の構造(木造)がよくわかります。


 右は片側4本の主索ケーブルを固定するアンカー部。この橋の設計コンセプトは、アメリカからのようですが、後年瀬戸内海を渡る大きな吊橋として進化していったルーツにふれた想いでした。

 ふと目をやると木曽川の清流にこの暑さをモノともせず鮎釣り人が長い竿を振っていました。
 周りの石の大きさ、橋の長さや高さにくらべると本当に豆粒のようでした。

 今回のドライブはスイスから帰ってしばらくしてからだったのですが、あらためて日本の良さを見直しました。また私の出生地がこの近くなので、帰りに産土神社にお参りしてこれまでのお礼と今後の健康をお祈りしました。


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